「無駄」はほんとに「無駄」なのか

仕事やプライベートの場面でよく耳にする無駄という言葉。仕事では、「効率的に」、「合理的に」が最優先で語られ、その弊害で大事なことが失われています。今回は、無駄についてお話します。

無駄なことへの偏見

先日、野球チームの20代のメンバーとの話。バッティングのことで意見交換していた際に、「無駄なく技術向上したいんですよね」という言葉を聞きました。引き合いに出していたのは、メジャーリーグで活躍する選手の話で、その選手は無駄なことしていないと思うんです。ということでした。

「4000本のヒットを打つために8000回悔しい思いをしました」というそのメジャーリーガーの話をした際に出た先の言葉。彼には、”効率的に”練習してあの記録を打ち立てたと見えているようです。

華やかさの裏には人に見せない努力がある

仕事の場面でも先輩社員の華やかさだけを見て、見えている部分だけを真似をしてキャリアを潰す社員はたくさんいます。結果的に物事の本質が見えていないと言えます。

もちろん、なかにはスーパーセールスマンと言われるセンスがずば抜けているセールスマンもいますが、少なくとも自分がそうだと言える人はそうはいません。

仕事ができると言われている人は、常に自分の見識を高めるための努力をしています。ちなみに当の本人は、努力だとも思っておらず「次はなんとかうまくやれる方法はないか」「もっとシンプルにできないか」など追求しているだけのようです。

無駄かどうかは時間が経ってからしかわからない

本題ですが、経験やスキルに関しては、効率よくすることは不可能だと思います。さきのメジャーリーガーも8000回の悔しい思いというように、あれだけの選手でさえ、倍の悔しい思いをしているのです。ただ、8000回の悔しい思いを自分なりに活かせたから倍で済んだんじゃないかと思います。

そう考えると20代のメンバーの「効率よく」という話は、ちょっとムシが良すぎ。自分なりに悩み考えたうえで培われていく「効率的な方法」を模索していくしかありません。

無駄と感じるのは、せっかくの経験を自分が無駄にしたからで、無駄だったと気付いて今後の対策を考えるならその経験は無駄にはならないと思っています。そう考えることで、同じように悩む人がいた時にいいアドバイスができるんじゃないかと思います。

ということで、そのメンバーへの私からのアドバイスは、「うだうだ言ってないでやってみれば?」でした。